1972 Kawasaki 900 super4 [Z1]1972 Kawasaki 900 super4 [Z1]

「究極」が生みだした衝撃

Z1は世界にふたつの衝撃を与えた。ひとつは、そのパフォーマンス。異例とも言える903cm3の大排気量、加えてクラス初となるDOHC並列4気筒エンジンが生み出す高性能は、世界中のライダーを魅了した。
ふたつ目は、そのスタイリング。「スリム、スリーク(滑らか)、セクシー」を合言葉にしたデザインは、900 ccクラスの重量を感じさせず、速くて風を切るようなイメージでZ1の高い性能を表現していた。その名に込められた想いの通り、Z1はパフォーマンス、スタイリングの両面で「究極」を体現。高性能、大型車というカワサキのイメージを世界に定着させた。

陸空海とさまざまな分野陸空海とさまざまな分野

Z1開発ストーリー:
カワサキグループとカワサキモーターサイクル

カワサキグループの創立から125年あまり。カワサキは、陸空海とさまざまな分野を技術の力で切り拓いてきた。1950年代に入ると航空機部門の高い技術力を生かして、モーターサイクル分野に進出。さらに十数年後、日本のモーターサイクル黎明期を支えた名門メーカー、目黒製作所を吸収合併。実用性だけでなく、より趣味性が高く、操る悦びを追求したモーターサイクルの開発を推し進めていった。

そして時代は流れ、1967年。前人未踏の高性能モーターサイクルの開発が、秘密裏に動き始めたのだった。

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Z1開発ストーリー:開発秘話

1960~70年代にかけて、アメリカではモータリゼーションの急速な進歩と環境問題への関心から、ハイスピードで走れる性能と、環境への負荷が低い4ストロークマシンへの期待が高まっていた。
そうしたなかカワサキは、アメリカで圧倒的な加速とハイパワーで人気だった2ストロークエンジン搭載モデル、500 MACH IIIに代わる大排気量車として、4ストローク4気筒エンジン搭載モデルの開発を始めた。500 MACH IIIが実現したパフォーマンスとスタイリングをはるかに超える「究極」を目指したのがZ1だったのだ。
Z1の開発は、太平洋を挟み、日米のカワサキが一丸となって行った。エンジン開発では、高出力はもちろん、耐久性、 整備性、そして環境性能にまでこだわった。フレームはかつてない大きなパワーを受け止めるために、高剛性にする必要があった。それと同時に、軽快なハンドリングを実現するため、可能な限り軽量にしなければならなかった。
そして、流れるような燃料タンク形状、シート、テールカウルといったフォルムは、数百点のイメージスケッチを経るなどして決定された。

力強くも、美しい魅惑的なモーターサイクルとは何か。その具現化に心血が注がれた。

イメージスケッチイメージスケッチ
2輪専門誌2輪専門誌

Z1開発ストーリー:市場の反応と記録への挑戦

1972年、約5年の歳月を経てZ1は完成した。完成後、アメリカの主要2輪専門誌4誌の編集長を招待し、カワサキの生産拠点である明石工場で極秘の「プレス向けZ1試乗会」が行われた。Motorcyclist誌の編集長は「カワサキは『高性能』の在り方を変えた」と絶賛するなど、Z1は各誌で賞賛されることとなった。
この4誌を皮切りに全世界に公開されたZ1は、驚きと歓喜をもって市場に迎えられることとなる。ちなみに日本とアメリカのカワサキ開発陣が付けた、極上のご馳走を表すZ1のニックネーム「ニューヨークステーキ」がこの試乗会によって広まり、のちにZ1を象徴するキーワードのひとつとなった。
リリース翌年には、Z1はアメリカのデイトナ・インターナショナル・スピードウェイにて「24時間耐久世界最速記録」に挑戦。結果は、2,631.402mile(約4,234.8km)の距離を、平均109.641mile/h(約176.4km/h)で駆け抜けるという新記録を樹立。Z1の高性能と信頼性を世界に示した。この記録は、これからZが獲得する輝かしい記録の、最初の足跡となった。

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