KAWASAKI DIRT CHRONICLES

volume06 理想的な2ストロークエンジン特性を実現したカワサキ独自の排気デバイス、KIPS / 高回転高出力型になりがちだった小排気量エンジンに、低中速トルクをもたらす排気デバイスを導入したカワサキ。KIPSの先進性は既存のデバイスを凌駕する。

排気ポートとチャンバーを制御するデバイス

KIPSを考案・開発した内西英三郎

KIPSを考案・開発した
2ストロークエンジンのマイスター、内西英三郎

 排気デバイスというボキャブラリーが、バイク談義に登場し始めた頃、その言葉には魔法や手品のような響きがあった。2ストロークエンジンの弱点をカバーし、トルクを出してくれる魔法の仕掛け…。エンジン設計者たちが繰り出す技は、いずれもユニークなものばかりだった。
「アイデアはいくらでも湧いてきました。ただ、量産化するのが難しかったんです。その分だけ他社に先行された面はありましたが、機能的に欲張ったものができたと自負しています。手作りのエンジンで勝ちに行くことはできましたが、その技術を市販モトクロッサーに反映できなければ意味がない。我々は排気デバイスの開発においても、量産化を前提とする方針を変えたりはしませんでした」
 内西英三郎(当時:単車事業本部 技術室 実験研究部 第三研究班 係長)は、KXシリーズの進化を語る上で無視できない、KIPS(Kawasaki Integrated Power-valve System)の生みの親だ。
「2ストロークエンジンの排気デバイスには、大きく分けて排気ポート制御と排気チャンバー制御という2つの方法があり、先行する他社のモトクロッサーには、どちらかが採用されていました。前者は排気ポートの開口面積を低回転時には小さく、高回転時には大きく可変させる方式。後者は高回転型チャンバーの根元付近にレゾネーターを追加し、容量を増やすことで低回転型チャンバーとしても機能させる方式。いずれも新気の充填効率を高めることが狙いです。我々が開発したKIPSはこの両方式を併せ持つ画期的なデバイスで、'85年型KX125・KX250に採用した初期型では、副排気ポートとレゾネーターの開閉を同時に行なうバルブを備えていました」

デビュー2戦目で早々と初優勝

86年型KX125のエンジン

86年型KX125のエンジン。85年のKXシリーズよりKIPSが搭載されたが、KIPSのロゴがシリンダーヘッドに刻まれたのは86年モデルからであった。

 初代KIPSのデビューレースは、'84年全日本モトクロス第3戦、広島県三次総合スポーツランドが舞台となった。この初戦では岡部篤史(当時:チームカワサキ所属国際A級ライダー)が総合3位、立脇三樹夫(同)が総合5位。そして続く第4戦鈴鹿サーキットで、KIPSを搭載したKX125SRが立脇のライディングによって、記念すべき初優勝(3位/1位)を挙げた。
「KIPSなしの125は、ピーキーでパワーバンドが狭かったので、少しでも振られたり、ラインを外れたり、回転を落としたりすると、挽回するのが大変でした。常に半クラッチを当てていないとパワーを引き出せず、とてもシビアな特性でしたね。ところがKIPSが付くと、回転がやや重い感じになるものの、下のトルクが出て扱いやすくなった。ライダーのミスを許してカバーしてくれるエンジン、という印象でした。実際あの頃の鈴鹿には、スーパークロスブームでウォッシュボードができたりしたけれど、そういうトリッキーなセクションでKIPSの効果はテキメンでした」
 立脇がいみじくも言及したように、KIPSに対するニーズの高まりは、'80年前後から盛んになったスーパークロスと無縁ではなかった。タイトコーナーの直後に連続ジャンプが控えているようなレイアウトには、ピーキーなエンジンでは太刀打ちできなかったからだ。
「最初のKIPSは1年半ぐらいで作りました。125と250では形が違いますが、考え方は一緒なので125で開発を進めてから250に応用したわけです。性能は思い通りのものが出せましたが、バルブを開け閉めするためのロッド類を上手く作動させるのが大変でした。熱で変形することもありましたし、未燃焼オイルやカーボンが溜まると、膠着して動かなくなることがあったのです。もちろん、市販化までには改良できたことは言うまでもありません」

KIPSの進化は続く

エンジン特性グラフ

KIPSのエンジン特性を表したグラフ。回転数に応じてバルブを開閉する事により、低回転域から高回転域までスムーズなパワーカーブを描く。

 初年度から好評を博したKIPSは、その後もモデルチェンジの度に熟成を重ねていった。後々、副排気ポートとレゾネーターの開閉に加え、主排気ポートのタイミングを可変とするバルブを設け、さらにサブバルブを2段階作動とした3-Way 2-Stage KIPSへと進化した。
「エンジンの開発には、これで終わりという到達点がありません。どんなに特性が向上しても、ライダーからはもっと欲張りな要求が寄せられるからです。一番重視したのはアメリカ人ライダーの評価ですが、実はジェフ・ワードやロン・ラシーンのようなライダーは、開発には不向きでした。たとえばワードは、高回転をキープしたまま腕力でねじ伏せるようなコーナリングをするので、一般ライダーには参考になりません。ラシーンなどは、エンジン全開のままブレーキをかけてクラッチを切ったり当てたりするので、これもまた真似ができません。やはり開発に役立ったのは、マイク・フィッシャーのような一般的な乗り方のテクニックを備えたライダーの意見でした。ピークパワーの50馬力を1馬力上げても1/50に過ぎないが、低中速の20馬力を1馬力上げると1/20のアップになるので、体感的には大きい。我々がKIPSの開発に力を注いできた根底には、こういう考え方があったからです」 
 モトクロッサーのエンジン設計に半生を傾けてきた内西だが、やがて開発セクションから異動する日が訪れた。
「KXシリーズのDNAは、間違いなく受け継がれるでしょう。ファクトリー活動も量産の開発も、共通のスタッフが小人数で取り組んできたので、意志の疎通に優れた最高のチームですし、これは何物にも代えがたい財産であると言えます。だからこそこの体制は維持しなければならないし、レース活動も開発も今まで通りに続けて欲しい。技術というものは形式的に書類として残りますが、実際には人から人じゃないと伝わっていかないからです」

(取材/文: 浦島信太郎)

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