Ninja Kawasaki's Leading Edge

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「Ninja」が世界に与えた衝撃 近田茂 モータージャーナリスト

カワサキのブランドイメージを確立。

 カワサキの名を世界に轟かせたのは、Z1 の投入(1972年)に端を発している。しかしその名声を引き継ぎ、同社のブランドイメージを世界最強最速メーカーとして昇華させたのは、Ninja / GPz900Rの成功に他ならない。
 その後フラッグシップの座は、Ninja ZX-11 / ZZ-R1100~Ninja ZX-14 / ZZR1400へ受け継がれているのは御存知の通り。その中でNinja / GPz900RはNinja ZX-11 / ZZR1100 登場以後も根強い人気を維持し、ロングセラーモデルとなったのだ。多くのユーザーに支持され続けた傑作モデルであったことを如実に物語る結果である。
 さて四半世紀前のバイクシーンを思い起こすと、900 に始まったZ1 のDOHC空冷エンジンは11年の歳月と共にGPz1100 へと拡大。ライバル達も含め、世界を席巻した4気筒の国産重量級バイクは、既にオーバー1リッターが当たり前の市場になっていた。
 車格は大きく重くなる方向で競われ各社とも立派なデザインを追求する傾向にあった。つまり重量車は、貫禄ある高級なバイクとしての進化を歩み、キャラクターとして本格的なスポーツ性を追求するタイプは、当時はまだ無かったのである。
 実際タイトなサーキットを走ると、加速力や最高速で勝ってもラップタイムでは、排気量の小さいピュアなスポーツバイクに劣ってしまうことも珍しい事ではなかった。そもそも当時の市場では、重量級のバイクを駆って、本気でスポーツ走行を楽しもうと考えるニーズもまだ育っていなかった。
 そんな中、カワサキは時代を革新する新商品として、新世代のスーパースポーツを開発してみせたのだ。それが往年の傑作モデル、Ninja / GPz900Rである。
 当時それに試乗した者は、絶対的なパフォーマンスの高さに誰もが圧倒され、目の覚める快活な走りに魅了されてしまったことは言うまでもない。重量級の常識を覆す素性の良い走り。Ninja / GPz900Rはまさに異次元のスポーツ性を発揮し、そこに大きなインパクトが感じられた。サーキットでもスイスイと、軽快かつ鋭い操縦性を披露。重量級のバイクが、ここまで意のままに操れるものかと、世界中のバイクフリーク達が感激した。

分かりやすい革新的要素の数々に注目。

 初お目見えは1983年10月、第70回パリショーだったと記憶している。サイドカムチェーンと背面ジェネレーター方式のスリムな水冷エンジンはクランク前方に一軸バランサーを備え、ダイヤモンドフレームにリジッドマウント。同クラス初の6速ミッションが導入されクラッチも油圧式を採用。深いバンク角を持つスポーティなフォルムが異彩を放つ。
 そして何よりも、フロントに16インチホイールをマッチし、低く身構えたフルフェアリングを装備。見るからにシェイプアップされたそのたたずまいは誰の目にも凄味があり、引き締まったアスリートの逞しさが漂う。
 前述のエンジン搭載方法や、それに備えたバランサー機構の採用は、軽量高剛性の追求とエンジンの低位置マウントを実現する理に適うデザイン。実に明快なその合理的設計も話題を集める。リッターバイクを凌ぐ高回転高出力を叩き出し、走行性能は群を抜く実力であった。
 主に開発の舞台となったのはFISCO (富士スピードウェイ)とJARI(日本自動車研究所・谷田部テストコース)そして明石工場から移動する一般路を使うこともあった。
 当時は記者もJARIで雑誌の動力性能試験を担当していたが、周回路脇にある小屋の掲示板にカワサキスタッフが消し忘れたデータを発見し愕然とした思いを抱いたのを、今でも鮮明に覚えている。
 そこには開発テスト車の最高速度が250km/hを超え、ゼロヨンは11秒を切ることが示されていたのだ。当時の世界最速レベルは220km/hオーバー程度。一気に30km/hもの記録更新とは進化のスピードがあまりにも早過ぎるではないか。
 この背景にはエアロダイナミクスの追求が大きく関与していた。その意味でもNinja / GPz900Rは大きな革新を果たしている。設計当初は、空力特性の貢献度がここまで高いとは予期していなかったと言うが、開発途上、実走テストを繰り返す中、前面投影面積の小さい、スリム&コンパクトなスタイリングが、大きく物を言うことが明確になっていった。
 結果論ではあるが、コンパクトな車体設計が、ライバルを大きく凌ぐ空力特性の高さをもたらし、最高速性能の飛躍的向上に寄与した。ライダーのウィンドプロテクションも考慮しつつ、スポーツ性能と快適性を程よくバランスさせた仕上がりこそ、多くのライダーの評価を集め、その後のNinjaシリーズにも受け継がれた重要なファクターである。ユーザーが魅了されたチャームポイントのひとつとして今でも見逃せない部分だと思う。

発表試乗会もセンセーショナルなものだった。

 発売を翌年に控えた1983年12月、アメリカはカリフォルニア州モントレーにあるラグナセカ・サーキットを舞台に、二泊三日に渡る発表試乗会が開催され、これもまた大きな話題を集めた。海外試乗会の開催はそれ以前にもあったが、日本勢も含めて約100 名にも登る世界中のプレス関係者を一堂に会す大々的なイベントの開催は、業界初のことだったのだ。
 当時のカワサキは海外市場で大きな飛躍を見せ、輸出割合の大きなメーカーとして成功していただけに、グローバルマーケットに向ける意気込みはどこよりも強く大きかったのだろう。
 日本からも多数のプレス関係者が参加し、多くのメディアで取り上げられた。その誌面展開は、実に華やかで幅広いものだったと記憶している。
 発表会当日、高級リゾート地に立つハイアットホテルに到着し受け付けを済ませると、ウェルカムカクテルパーティーに始まり、記者会見を経てディナーパーティーへとなだれ込む。記者会見では黒装束の忍者が登場するなど趣向を凝らした演出も。そして翌日からの二日間でサーキット試乗に加え、空軍の飛行場を使用したドラッグレース大会も開催。オプションではジェットスキーの試乗もでき実に楽しく有意義なイベントだった。
 「忍者」(Ninja )という言葉は、スーパーマンと同義語として当時既にアメリカでも認知されており、憧れ視されていた。その後、カワサキの対米向けロードスポーツ車を称すメインブランドとして定着し、後に欧州や豪州、そして日本向けにも拡大していった。初代Ninja / GPz900Rの登場が市場に与えたインパクトは、非常に大きく、人々のハートを捕らえるネーミングだったことが、良くわかるだろう。
その後もNinjaシリーズ は走行風を積極導入してターボ効果を発揮し、世界トップレベルの高性能を追求したNinja ZX-11 / ZZ-R1100や、量産車初のアルミモノコックフレームを採用したNinja ZX-12R など、それぞれのカテゴリーで他にない機能性や魅力を投入してきている。Ninja 250R では十分な性能とコストパフォーマンスの高さで、閉塞感のある国内市場で健闘しているのも見逃せない。
 Ninja の原点は四半世紀前に始まった。日本が元気だった頃の良き時代ではあったが、再び元気を取り戻すためのヒントが、そこに隠されているような気がする。カワサキの新たなムーブメントに期待しつつ、今後もNinja ブランドには目が離せないのである。
(2009年6月寄稿)
試行錯誤の末に誕生した、水冷並列4気筒エンジン 山田浩平 川崎重工業モーターサイクル&エンジンカンパニー

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