Ninja Kawasaki's Leading Edge

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試行錯誤の末に誕生した、水冷並列4気筒エンジン 山田浩平 川崎重工業モーターサイクル&エンジンカンパニー

実現寸前まで行った  Ninjaの空冷6気筒案

 ライバルよりも速く、よりハイパワーで、最高速度においても上回ること。1980年代までの国産オートバイの性能競争は、常に高出力、大排気量化の歴史だった。
カワサキのビッグバイクの進化の歴史も同じ。ルーツは、言うまでもなく72年に登場したZ1こと900スーパーフォア。そのZ1が、76年には1000ccへと排気量を拡大してZ1000へと発展し、81年には大きく手直しを受けてZ1000Jが登場。最終的には、フューエルインジェクションを装備したGPz1100までスケールアップされ、Z1で82PSをマークした出力は、最終的に120PSにも達することとなる。実に1.5倍近い出力アップである。
「最終的には、やはり力不足が問題になりました。ライバルメーカーも4バルブ化など、新しい4ストロークエンジンに挑戦する中、カワサキも次世代へ一歩を踏み出そう、と。それがNinja / GPz900R開発のスタートでした」と語るのは、Ninja / GPz900Rのエンジン設計を担当した山田浩平である。
 Z1からGPz1100への過程では、出力が1.5倍になったと同時に、排気量が903ccから1089ccへ、230kgだった乾燥重量は244kgまで増加していた。パワーアップももはや限界で、エンジン、車体を含む完全新設計は必然だったのだ。
「当時のトップパフォーマンスといえば、カワサキのGPz1100を軸に、ライバル各社の1100ccモデル。まずはこれと同等の出力をターゲットとすることで、いろいろなアイデアが出ましたね。4バルブ化、水冷化、6気筒もありました。最終的に残ったのは、実は6気筒エンジンだったんですよ」
 6気筒エンジンは、Z1300同様の水冷方式ではなく、空冷DOHCヘッドを搭載した900ccを想定していた。実際、山田も試作モデルのライディングまで済ませ、そのスムーズな走行フィーリングは、確かに新しい時代を感じさせるものだったという。
「しかし、排気ガス規制が強化される時代にあって、排気ガスのクリーン化のために、4バルブをやろうというテーマが先に立ってしまって、6気筒モデルの開発はストップしたんです。開発が進むにつれて出力が出てくる6気筒エンジンに4バルブヘッドでは、発熱が大きすぎて、空冷では持たなくなる。しかし水冷とすると、コンパクトさが失われてしまうということで、急遽4バルブ4気筒エンジンの開発が進み始めたんです。本当に実現寸前でしたからね、いま考えると、空冷6気筒も面白かったなぁ、と思いますね」

軽くコンパクトな車体に 最新思想がつまった新エンジン

 4気筒エンジンならば、水冷ジャケットをまとってもコンパクトに仕上げることができる。さらに、1100ccに対抗するなら900ccもあれば充分、との目論見から、ニューエンジンは900ccの水冷4バルブ4気筒、と開発要件が決まっていった。決してZ1を意識したがための900ccではなかったのである。
「エンジンのキャラクターは、パフォーマンスは高く、振動は低く、でした。エンジンの振動を抑えれば、余計な強度や剛性がいらなくなって車体が軽くなる。それで、3PSくらい犠牲にしてバランサーも装着してみました。その前には、現代のMotoGPマシンにも見られるねじれクランク、つまり不等間隔爆発として偶力バランサーとする案もあったんですが、あれはフィーリングが悪くてパワーも出しづらかったように思います。バランサーも2軸をトライした上で、結局1軸2次バランサーに落ち着いたんです」
 4バルブヘッド専用設計の新型エンジンは、ボアストロークも専用に設定され、可能な限りコンパクトなサイズに抑えるため、今では1000ccクラスの高出力エンジンの常識となった、サイドカムチェーンレイアウトにも初めてトライした。
「サイドカムチェーンは、真ん中にカムトンネルを作るより、端に寄せた方が、壁が1枚で済むじゃないか、という発想でした。その結果、吸気ポートもストレートにレイアウトすることができて、ヘッドまわりにきれいに走行風が抜けるメリットも出てきたんです。ヘッドカバーもフラットな一体形状にできたし、出力にも冷却にも効果があったレイアウトなんですよ」
 水冷4バルブ、1軸バランサーつきのサイドカムチェーンレイアウトということで、カワサキ社内はおろか、周辺にも参考となる資料やデータがない中、山田は全く新しいエンジンの図面を引き続けた。比較対象は、実現寸前までいった空冷6気筒と、ねじれクランクのプロトタイプ。だからこそ、独創的なエンジンが完成したのである。
「細かい設計や構造に関して言えば、私はエンジニアですから、いつも新しいアイデアを考えていました。よく参考にしていたのはF1のエンジンで、ライバルとはいえ、既存のオートバイ用エンジンを参考にしたことはありませんでしたね。4バルブという新しいテーマに向かって理想を高く掲げ、そこに近づけていったことで、あえてライバルを挙げるとすれば、今までのカワサキ製エンジンでした。よそが何馬力出したからウチは何馬力を目標に、なんて開発をやらなかったから、独創的なエンジンができたんだと思います」
 そうして出来上がったニューエンジンは、ダウンチューブを持たない軽量なダイヤモンドフレームに抱かれ、アルミシートレールやアルミスイングアームを組み合わせ、アンチダイブ機構つきフロントフォークや前輪16インチホイールなど、当時の最先端技術をふんだんに投入したニューモデルへと昇華していった。
「Ninjaというペットネームは、アメリカ販社のアイデアでした。いろいろ議論もありましたが、ちょうどアメリカで忍者ものの番組をやっており、知名度があったことでNinjaと名づけたんですね。まったくバイクを知らない男性が、他社の1000ccクラススポーツバイクを見て『お、ニンジャバイクだ』と叫ぶ現場も目撃したことがあります。スーパーマンというか、日本の忍者ということで、まったく新しいオートバイを擬人化したんですね」

モデルチェンジ後も生き続けたロングセラー

 そしてNinja / GPz900Rは、最高速度250km/h、ゼロヨン10秒台という俊足を引っさげて、ビッグバイクといえば空冷大排気量のツーリングモデルばかりのなかで、ひときわ輝きを放つ存在となった。
 Ninja / GPz900Rは大きなモデルチェンジなしに91年には国内販売もスタートし、03年まで製造販売が続けられた。実は、Ninja / GPz900R登場の2年後にはNinja 1000R / GPZ1000RXが、そしてそのまた2年後にはNinja ZX-10 / ZX-10、その2年後にはNinja ZX-11 / ZZ-R1100がデビュー。世界最強の看板は、しっかりとカワサキモデルに受け継がれた。
しかし、新型に取って代わられるはずだったNinja / GPz900Rは、ずっと生き続けることとなる。それは、たとえ世界最高の性能を目指して生まれたモデルであっても、決して高性能だけがオートバイの魅力ではないということを、広くファンに知らしめたからこそのロングセラーぶりだった。
「結局、Ninja / GPz900Rはファンのみなさんにずっと愛される存在になって、ユーザーさんやショップのみなさんに育てていただきました。自分で言うのもなんですが、作り手の思いが伝わったから、ずっと可愛がっていただけたんだと思います」
 開発スタッフはもちろん、図面を書いた人、設計担当、生産スタッフや実験グループと、Ninja / GPz900Rを生み出した男たちは、みんな同じ方向を向いていた、と山田は言う。
「これでカワサキをもう一回アピールしよう、という思いでした」
 その目標は、たしかに達成されたのだ。 
「Ninja」が世界に与えた衝撃 近田茂 モータージャーナリスト

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