1990年からKRTのトレーナーを務めている平吹和幸。
ライダー達からの信頼も厚い。
KRT(カワサキレーシングチーム)のユニフォームを着たチームスタッフの中に、バイクではなくライダーのメンテナンスに携わってきた男がいる。理学療法士・平吹和幸。全日本モトクロスに関わるトレーナーの草分けとして、知る人ぞ知る存在である。
「1990年からカワサキの契約トレーナーになり、KRTやチームグリーンのお世話をしてきました。それ以前はアメリカに留学して、モータースポーツのフィジカルトレーナーの先駆者、ディーン・ミラーに師事していたんですが、私がKMC(カワサキ・モータース・コーポレーションU.S.A.)に顔を出した時に、ちょうどアメリカ出張に来られた安井(隆志)さん('82~'93年KRT監督)とお会いして、それがKRTとの縁になったわけです。'89年はランディ・マモラ専属トレーナーとして、ロードレース世界GPを転戦していましたし、翌年もその仕事を継続する方向で合意していたんですが、モトクロスの方がスポーツ性が高くて魅力を感じていたので、ロードGPを断わって全日本モトクロスに専念することになったのです」
安井はかねてからトレーナーの必要性を痛感していた。'79年~'80年に世界GPへ派遣された際、ブラッド・ラッキー(当時:カワサキ契約GPライダー)の専属トレーナーを務めていたミラーの仕事ぶりを見て、日本にもライダーのトレーニングや体調管理に目を配る人材を置きたいと考えた。平吹と出会うまでには長い年月を要したが、やがて何か必然に導かれたように安井とミラーと平吹がつながった。
平吹をして「モトクロスライダーとして完璧な肉体を持つ男」と言わしめた、岡部篤史。
「ミラーの下を離れて帰国した時、KRTには岡部篤史、長沼朝之、花田茂樹の3選手がいました。自分もモトクロスをやっていたので、特にゼッケン1番の岡部選手は雲の上の人でしたが、体力的には非常にバランスが良く、欠点はまったくありませんでした。対照的に長沼選手はセンスで乗るタイプで、体力テストでは最下位。花田選手はランニング、スイミング、自転車と何をやっても2番目でしたが、鍛えれば伸びそうな素質があったので、私のトレーニング理論を注ぎ込ませてもらいました。花田選手、そして後から入ってきた榎本正則選手などは、よく育ってくれたと思います。岡部選手の場合、アスリートとしてほとんど完成された身体を持っていたのですが、30歳になってから年齢的な衰えを想定し、筋力アップに取り組みました。人間の身体がどこから衰えていくかというと、まず筋肉からなんですね。岡部選手が長くトップライダーとして君臨できたのは、フィジカルに対する意識が非常に高く、それゆえにケガが少なかったからだと思います」
平吹がトレーナーに就任した時期は、他のスポーツ界でも身体作りや食生活に対する関心が高まっていた。それまではどうだったかと言えば、例えばプロ野球選手が煙草を吸っていても、試合前日の深夜まで酒を飲んでいても、誰も疑問を抱かないほど意識は低かった。
「モータースポーツはバイクの性能が第一と考えられがちですが、本当はライダーの体力が占める部分がとても大きく、モトクロスはその中でも最たるものなんです。求められる要素も単純ではありません。スポーツ医学的に体力を分類すると、瞬発力、ミドルパワー、持久力とありまして、短距離走、重量挙げなど10秒以内で終わる競技は無酸素運動で瞬発力、3分以上かかるのものは有酸素運動で持久力が問われます。そして陸上の400m辺りが、その中間という位置付けです。モトクロスは30分以上走り続けるので、まず持久力が必要になりますが、スタートやジャンプの踏み切りなど、息を止めて瞬発力を使う局面もあるし、延々と競り合う時などはミドルパワーになります。さらにラインやギャップを観察する動体視力、動きながらも周りをよく見る周囲視力、後方の気配を察知するなど五感をフルに使うので、要求される能力は非常に高度なのです」
マディコンディションの中、マシンを的確にコントロールする岡部。
モトクロスにおいて、フィジカルの強さが顕著に表れる場面である。
カワサキがライダーの体力アップに着目するのも当然の流れと言えた。
「トレーニングとは、身体に日常生活以上の負荷をかけることです。ライダーはバイクに乗るのが日常ですから、いくら乗っても技術の練習にはなりますが、肉体的トレーニングにはなりません。だからライディングとは別に、ランニングやスイミング、ウエイトトレーニングなどをやる必要があるのです。アスリートとして理想的な身体を作るには、最短でも2~3年かかるので、KRTに入ってからでは遅い。そこで私はチームグリーンやそれ以前のNB(国内B級)、NA(国内A級)時代から指導するようになりました。体力アップの一助として、ライダーの家族に食事のメニューを変えるようにお願いしたこともありましたし、メンタル面を鍛えるためにライダーを明石の商店街に連れて行って、歌を歌わせたこともありました。アーケード街の真ん中で、ひとりずつ大声で歌うんです。岡部選手も歌いましたし、KRTとチームグリーンのライダーは、ほぼ全員この洗礼を受けて逞しくなりました。余談ですが、ただひとり田中教世選手だけには『そんな恥ずかしいこと絶対にできません』と拒否されました」
シーズンのオンオフを問わず、ライダーのポテンシャルアップに献身的な平吹だが、レース本番を迎えると現場でできることは意外と少ないと言う。
「体調はどうか、故障はどうかなど確認しつつ、マッサージやテーピングを施したり、ドリンクを用意したりするのが主な仕事です。あとは常にライダーのそばにいて、精神的な支えになってあげたい。やっぱり苦しいトレーニングを一緒にしてきた間柄ですから、いろいろと理解し合える部分があるんです。ライダーによく言うのは『苦しい練習をして楽しいレースを』ということ。ところが現状は、ほとんどのライダーが楽しい練習をして苦しいレースをしています。日本人ライダーの基礎体力不足は明らかですし、メンタルも弱い。外国人ライダーを見てみると、レース前はおちゃらけているのに、着替えるともう目付きが変わってスイッチが入っている。日本のライダーは逆で、朝早くから気合いが入っちゃっていて、レース前になるとあくびしたり笑ったりしている。あくびは緊張しすぎで酸欠になっている証しです。コンセントレーションの高め方など、外国人ライダーから学ぶことはもっとありそうですね」
レーシングチームという職場には、移籍や人事異動が付き物だが、KRTにおいて20年間も同じ任務を全うしてきた者は平吹トレーナー以外にいない。
「岡部選手がチャンピオンになった翌年から就任したので、自分が手掛けたタイトル獲得というのはIA1に限定するとまだないんです。エディ・ウォーレン、ジェフ・マタセビッチは別格ですし、日本人チャンピオンは出せていない。だから私の夢は、まだ達成の手前ということになるんでしょうね」
(取材/文: 浦島信太郎)

