'03年全日本モトクロス開幕戦、
デビューしたKX250F-SRを駆る溝口哲也
甲高い音と図太い音が渾然一体となって、コースを駆け巡っている。そのエキゾーストのうねりの先頭に、ゼッケン711を付けたKX250F-SRがいた。カワサキが4ストロークマシンを初投入した、'03年全日本モトクロス開幕戦。重責を担った溝口哲也(当時:KRT所属)は両ヒート制覇を果たし、KX250F-SRに鮮烈なデビューウィンをもたらした。当時はまだ過渡期であり、IA125(現IA2)クラスにおける出走台数は、2ストローク125車の方が4ストローク250車よりも多かった。KX250F-SRが開幕戦で見せた圧倒的なパフォーマンスは、この混沌とした状況に明確な方向性を示すものだったと言っていい。
その後も勝利を重ねた溝口は、'03年のIA125チャンピオンに輝き、翌'04年には中村友則(当時:チームグリーン所属)が、同クラスのタイトルを獲得。KX250F-SRはこうして、デビュー早々2連覇を達成したのである。
「レース成績、そして市場での評価が、4ストローク化を進める弾みとなりました。'04~'05年モデルとして市販されたKX250Fは、スズキとの共同開発車でしたが、お互いに他社の文化に触れることができたりと、効率化や期間短縮化以外にも得るものが多かったと思います」
カワサキの4ストロークモトクロッサー車開発に、
エンジン担当として携わってきた甲斐誠一
甲斐誠一(当時:汎用機カンパニー 技術本部 開発室 MC部 第4グループ 主事)は、2ストローク車の熟成と4ストローク車の新開発プロジェクトに携わってきた。
「結果的に250の方が先に世に出ましたが、実は450にも以前から着手していました。開発の順序としては、部品の強度などを見る点からすると、大型車から小型車へという流れが正しい。ですからまずはフラッグシップをということで、'02年には試作車を広島の弘楽園で走らせていました。450の試作エンジンをKX250のフレームに搭載した車でしたが、これには既存のモトクロッサーの車格を変えてはいけない、という大前提があったからです。KX250の車体に載る450、KX125の車体に載る250…これが4ストロークエンジンに課した条件でした。試行錯誤の後、'05年の全日本開幕戦には、中村がIA1の表彰台(4位/3位)に上がりましたが、KX450F-SRの戦果に手応えを感じ、これなら行けると確信しました」
開発陣に実用化への確信をもたらした、'05モデルのKX450F-SR (全日本モトクロス:中村友則車)
450の実用化に目処が立った頃、モトクロス界の主流は2ストロークから4ストロークへと完全に移行していた。'06年モデルの市販車ラインナップには、初代KX450Fと3年目のKX250Fが揃った。両車に初採用されたアルミ製ペリメターフレームは、その後マイナーチェンジを受けながら今日に至っているが、設計思想は20年以上前に発案された鉄製ペリメターフレームに端を発している。
4ストローク車が出揃ったことは、市販車ベースでレースが行われるアメリカで活動中のチームカワサキにとっては、非常に大きなアドバンテージとなった。'07年には、ジェイムズ・スチュワート(KX450F/SXチャンピオン)、ライアン・ビロポート(KX250F/SXライツ西部チャンピオン)、ベン・タウンリー(KX250F/SXライツ東部チャンピオン)の活躍により、AMAスーパークロスの全クラスをカワサキが独占する快挙を達成。翌'08年には、アウトドアで行われるAMAモトクロスでもスチュワート(KX450F/MXチャンピオン)、ビロポート(KX250F/MXライツチャンピオン)の圧勝により、カワサキの両クラス制覇が成し遂げられた。同じ時期の全日本モトクロスでは、'07年に新井宏彰(当時:チームグリーン所属/KX250F-SR/IA2チャンピオン)、'08年には勝谷武史(グリーンクラブ&ジュニアライダース所属/KX250F/IA2チャンピオン)が王座に就き、カワサキの4ストローク車の優秀性が実証されている。
「各地のレース結果からはありがたい評価を頂きましたが、我々開発陣としては評判の上にあぐらをかくわけにはまいりません。そこで急務となったのが、以前から取り組んできたFI=フューエルインジェクションの実用化でした。ご存じのようにキャブレターには、ジャンプ着地、コーナー立ち上がり、フープス通過時などで油面が乱れ、息つきを起こす弱点があります。これらをすべて解決し、気象条件に対応した自動補正が可能になることを考えれば、キャブからFIに向かうのは当然のなりゆきでした」
'07シーズン途中から全日本モトクロスで実戦テストが開始されたFIは、'08年からKX450F-SRに標準装備された。初戦のヒート2では溝口と新井が1-2フィニッシュを決め、後に発表される'09市販モデルへの採用を後押しした。
「市販化を機にヨーロッパ市場に対してもアピールしたかったので、2008年のWGP終盤戦からセバスチャン・プーセル(当時:GPKR所属)にFI車を出しました。事前のテストでキャブと乗り比べたプーセルは迷わずFIを選び、最終戦ではポールポジションを獲得したので、我々もひとまず達成感を味わったのですが、実はその後に本当のドラマが控えていたのです」
FI仕様のKX450F-SRに跨り、'08年のモトクロス・オブ・ネイションズで大活躍を見せたセバスチャン・プーセル
劇的なフィナーレの舞台は、イギリスのドニントンパーク。WGP最終戦の2週間後に開催された、モトクロス・オブ・ネイションズだった。
「プーセルは優勝候補筆頭だったアメリカ代表のスチュワートとデッドヒートを演じただけでなく、個人成績では勝ったんです(プーセル=2位/1位、スチュワート=1位/DNF)。カワサキ同士の争いでしたからどちらが勝ってもうれしいのですが、我々エンジニアとしてはスチュワートのキャブ車にプーセルのFI車が勝った…という見方もありまして、非常に喜ばしい戦果でした。実際、バトルの最中にプーセルがスチュワートを抜き返した瞬間、会場全体が怒濤のような歓声に包まれましたが、あれは本当に凄かった。レースというものは技術を試す実験の場でもありますが、あのような感動は理屈抜きに開発の励みにもなります」
カワサキのモトクロス史において、4ストロークマシンのチャプターは始まったばかりだ。新たな戦果を記すための余白は十分にある。
(取材/文: 浦島信太郎)

