モトクロッサーが急激な進化を遂げた時代、
KXの開発に携わっていた安井隆志
「モトクロッサーにもディスクブレーキが使えたらいいのに…」
後に続く溜め息には、諦めに近いトーンが含まれていた。今から30年以上前に、KX開発スタッフの間で交わされた何気ない言葉だ。エンジンのパワーアップ、サスペンションのロングストローク化など日進月歩の勢いに合わせ、非力なドラムブレーキの改善も急務だったが、ディスクの採用は難しいという先入観がまずあった。
「難しい…ではなく、あり得ない…というレベルでした」
安井隆志(当時:技術本部 実験研究部 第1Gr 設計、実験担当)は、記憶を1970年代の終わり頃まで巻き戻した。
「ブレーキの効力アップという要求には、ドラムの大径化で対処していました。当初は直径120mmだったハブを段階的に200mmまで大きくしましたが、すぐに重量的な限界に直面してしまいました。もちろんブレーキシューの材質を変えたり、ツーリーディング式も試しましたが、大した効果は得られなかったのです。ドラムに取って代わる物は、もはやディスクブレーキしかない。これは自然の流れでしたが、むき出しのキャリパーが泥水をかぶったらどうなる…といった心配をすぐに払拭できず、開発に着手するまでにはためらいがありました。それでも思い付いたら、エイヤー!の勢いでやる。そんなカワサキらしさの産物だったことは間違いないでしょう。最初の試作品は、社内にあったパーツで作りました。中型ロードバイク、確かZ400FXか何かのリア用28mmのシングルピストンキャリパーを流用し、パッドとディスクプレートにはいろいろな材質をテストしながら試行錯誤を続けました。オンロードで用いる鋳鉄製ディスクに対し、板厚を半分まで薄くしたステンレス製がオフには最適と分かり、ひとまずディスク径は240mmに設定。当初キャリパーの位置は、フロントフォークの前方に定めました」
KX125SR・KX250SRに装着され、1980年に全日本デビューを果たしたディスクブレーキ
1979年の秋、フロントにディスクブレーキを装備した試作車のテストが、兵庫県吉川町のコースで行われた。立脇三樹夫(当時:チームカワサキ所属国際A級ライダー)は、この初走行で受けた強烈な印象を今でもはっきり覚えている。
「当時のドラムブレーキは全然効かなかったので、3本指か4本指でブレーキをかけていたんです。普段は親指と人差し指で輪っかを作ってグリップを握り、残り3本をレバーにかけていましたが、それでも足りない時は4本指で思いきり握るしかなかった。ところがディスクブレーキになると、人差し指を軽くレバーに当てるだけで十分でした。指先に入れる力を微妙に変えるだけで制動力をコントロールできたし、あれは感動的でしたね。ディスクブレーキのおかげで乗り方も変わり、突っ込みが鋭くなりました。一番の思い出は、レースで瀬尾勝彦さん('77~'78年全日本セニアチャンピオン)を抜いたこと。あれは自分の腕じゃなくて、ディスクブレーキのおかげでした。ただ、泥が詰まると効きが悪くなる弱点もあって、雨の菅生でアウト側のバンクを真っ直ぐ飛び越えてリタイアしたこともありました。あれは250のゼッケン10番の時でしたか…」
'80年全日本モトクロスに実戦配備されたKX125SR・KX250SRには、水冷エンジン、ユニトラックサスペンションといった最先端の技術が盛り込まれていたが、フロントに装着されたディスクブレーキもまた羨望の的となり、カワサキのパドックにはいつも人だかりが絶えなかった。
「開発が順風満帆だったかというと、必ずしもそうではありません。最も効果的な組み合わせとしてたどり着いた、ステンレス製ディスクと焼結系メタルパッドの相性が意外と難しく、効力を追求すればするほど振動や鳴きが発生して、キャリパーやディスクプレートが割れることもあったからです。それから、油圧系統の配管にも悩まされました。何しろ300mm近いストロークのフロントフォークに取り付けたホースが、どんな動きをするのかというデータなどなかった訳ですから、激しい動きでバンジョーボルトが緩むことまでは想像できなかったのです。その他にも、モトクロスに接触はつきものですから、変形や破損の心配は常に抱えていました」
市販モトクロッサーとしてディスクブレーキを初搭載した
'82モデルのKX250。
それでもディスクブレーキには、短所と相殺しても十分お釣りがくるだけの長所があり、開発スタートから実用化までは非常に早かった。カワサキは市販モトクロッサー、KX125・KX250の'82モデルに初めてフロントディスクブレーキを採用し、センセーションを巻き起こした。さらに'86モデルでは、リアにもディスクを装備し、今日に至るブレーキシステムの基本型を完成させた。
「リアのディスク化が遅れたのは、モトクロッサーの制動力はフロントが90%近くを担っており、リアに求められる性能ならドラムで十分だったからです。ただし'80年代に盛んになってきたスーパークロスでは、空中で後輪をロックさせてマシンを意図的にピッチングさせたり、タイトコーナーでブレーキターンを駆使して直線的なライン取りをするテクニックが多用されるようになりました。このようなライディングが普及したのは、リアブレーキがドラムからコントロール性に優れたディスクに変わったことと無関係ではないだろうと分析しています」
安井の証言には、激動の時代を生き抜いてきた重みがある。
「他社に先駆けて実用化したアドバンテージなど、今となっては皆無と言っていいでしょう。ただし、あり得ない…というレベルだったディスクブレーキに率先して取り組めたことは、その後もカワサキに成功をもたらすことになる自由な発想の原点でもあり、誇りに思ってもいいのではないでしょうか」
(取材/文: 浦島信太郎)

