KAWASAKI DIRT CHRONICLES

volume03 カワサキ独自のアマチュアライダー支援活動「チームグリーン」 / 30年前に販売促進を目的として創設されたチームグリーン。今では「ライダーを育てるカワサキ」という定評を得るまでに成長した。

1979年チームグリーンの胎動

川崎重工のOBであり、現在はMFJテクニカルアドバイザーを務めている堤利雄氏

川崎重工のOBであり、現在はMFJテクニカルアドバイザーを務めている堤利雄氏

 カリフォルニア州ロサンゼルス近郊にあるモトクロスの聖地、サドルバックパークを訪れてみると、ライムグリーンのバイクは1台もいなかった。視界に入るモトクロッサーの銘柄はスズキとヤマハが大半を占め、少数だがマイコ、ブルタコ、CZ、ハスクバーナなどの欧州車も走っていた。アメリカのライダーたちにカワサキのモトクロッサーを買ってもらうには、一体どうしたらいいのだろう。コース脇で佇む堤利雄(当時:KMC Technical Service Dept. Manager)は、砂塵にまみれたシャツの袖で額の汗を拭った。
「アメリカでは'70年代後半にモトクロス人気が急上昇したのですが、カワサキが市販モトクロッサーを投入した当初は見向きもされなかったし、無理だよと笑われたこともありました。1969年に渡米してから10年ほど、KMC(カワサキ・モータース・コーポレーション)では技術的な部署にいましたが、モトクロスをビジネスとして成立させるには、メーカーと販社が一体となって取り組まなければいけないと痛感し、私が販売促進にもタッチするようになったのです。そんな折、KX250・KX125に加えて'79年モデルからKX80が新発売され、広い購買層にアピールできるラインナップとなりました。これはチャンスだと、KX80に乗ってくれるライダーを探したことが、チームグリーン活動の始まりでした」
 堤は毎週末あちこちのモトクロス場に通い、辞書と首っ引きでスカウト活動に没頭した。ようやく見つけたのが、サンディエゴのバローナオークスで出会ったサム・ストアという中学2年生。KX80を気に入ってくれたこの少年は、晴れてたった1人の第1期生となった。翌'80年からチームは堤の下を離れ、新たに任命されたマネージャーに引き継がれる。この時から正式にチームグリーンと命名され、活動は少しずつ全米に普及していった。

アマチュアの祭典ポンカシティで得た絶賛

「チームという概念とはちょっと違って、キャンペーンと言った方が正しいかもしれません。何しろアメリカは国土が広いですから、各地からライダーがどこかに集って合宿するとか、団体行動をするなんてアマチュアレベルでは不可能です。我々が行ったのは、販売促進とカスタマーサポートを一体化したサービスで、ひとことで言えば『いまKXを買えばキミもチームグリーンの一員になれる』というようなキャンペーンだったのです。資格は何もなし。スカウトもセレクションもなし。ただ指定販売店でKXを買えば、誰でもチームグリーンに登録できました。特典はいくらかのディスカウントと、キットパーツや技術情報の提供だけ。契約金も賞金もありませんでした」

96年のAMA全米アマチュアモトクロス選手権(通称ロレッタリン)で、ライダーを迎えるチームグリーンスタッフ。

96年のAMA全米アマチュアモトクロス選手権(通称ロレッタリン)で、ライダーを迎えるチームグリーンスタッフ。ポンカシティが有名なアマチュア大会ではあったが、ロレッタリンでも大きな大会が開催されるようになり、カワサキはそこにも力を入れていった。

 本格的にスタートしたチームグリーンの主戦場は、アメリカ各地のローカルレースだったが、最終目的地として目指したのがポンカシティ(NMA Ponca City Grand National Motocross)。夏休みに全米からアマチュアライダーが集う「モトクロスの甲子園」だった。細かく分けられたカテゴリーには、排気量とは別にストック(無改造)とモディファイド(改造)があったが、カワサキは最激戦区の80ccモディファイドクラスに、まだ市販されていない翌年型KX80の量産試作車を投入。この作戦が大ヒットした。
「モディファイドクラスにはホモロゲーションが要らなかったので、発売前の新型でも出られました。当時はモトクロッサーが毎年劇的に進化していた時代ですから、たとえば現行の空冷エンジンに対して来年型が水冷エンジンだったりすれば、これはもう羨望の的になります。性能的にも格段の差がありましたから、あえてストックのまま出ても他社の改造車に勝てる。今度のKXを買えば勝てるぞ!という明確なメッセージが波及するのに、時間はそれほど必要ありませんでした」
 チームグリーンの活躍が格好の宣伝となり、KXシリーズの販売台数は上昇の一途をたどる。ブームの発端となったポンカシティにおいては、やがて出場車の半数をKXが占めるまでになった。レース活動にはライダーの育成や実戦テストといった側面もあったが、すべてが好循環に回っていった。

ライダーを育てるカワサキ

84年のモトクロスファクトリーチーム。中央にいるのが堤氏。

84年のモトクロスファクトリーチーム。中央にいるのが堤氏で、当時はアメリカのレース関係を総括するポジションを務めていた。チームグリーン出身であるライルズ(ゼッケン12番)や、前回登場したワード(ゼッケン4番)の姿も見える。

 カワサキはその後、レース結果に応じてライダーに成功報酬を支払う、コンティンジェンシープログラムを新設した。条件はKXを買ってレースに入賞することで、全米選手権から各地のローカルレースに至るまで順位ごとに細かく設定された賞金を、ライダーは申請して受け取ることができる。一握りのファクトリー契約ライダーだけでなく、カワサキはすべてのKXユーザーに利益を還元しようとしたのだ。現在も続いているこのコンティンジェンシープログラムは、追随した他社にとっても販売促進に不可欠のツールとなっている。
 チームグリーンのメンバーに対しては、ポンカシティで優勝したらカワサキのファクトリーチームに入れる、というインセンティブもあった。この制度による最初の成功例が、'83年にファクトリーライドを得たビリー・ライルズだった。
「私は'85年には日本に戻りましたが、チームグリーンがその後も成長し、今日まで続いてきたことをとても誇りに思っています。思えば今年で30周年になるのですね。私がスカウトを始めて途方に暮れていた頃は、こんな繁栄を予想することはできませんでした。チームグリーンの収穫には、販売台数以上の図り知れないものがある。カワサキというブランド、ライムグリーンというカラーを浸透させた…とでも言えばいいのでしょうか。それは言葉にも数字にもできない収穫です」
 アメリカのトップライダーの中には、チームグリーン出身者が多い。だが、カワサキのファクトリーシートには限りがあるし、多くはプロデビューを機に他社のファクトリーチームへ流れていく。
「それでもいいじゃありませんか。チームグリーンがカワサキのみならずモトクロス界全体の礎になっているとしたら、こんなに幸せなことはありません」

(取材/文: 浦島信太郎)

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