KAWASAKI DIRT CHRONICLES

volume02 カワサキのモトクロス史に輝く不滅の四冠王、ジェフ・ワード / AMAモトクロス界でカワサキが躍進を始めた'80年代初頭から、エースとして君臨した小さな巨人、ジェフ・ワードの伝記。

1978年カワサキに5フィート6インチの新人が入った

 そばかすだらけの顔をした新人と面接したカワサキの担当者は、彼の将来性について懐疑的にならざるを得なかった。身長5フィート6インチ(168cm)の小柄な体格が、果たして猛者揃いのAMAモトクロスに通用するのだろうか。エースライダーのジミー・ワイナートが熱心に口添えしなければ、カワサキはこの新人の採用を見送っていたかもしれない…。1978年、プロ2年目のジェフ・ワードにKX125が用意された時、やがて訪れる輝かしい未来を予想できた者はほとんど皆無だった。
 アメリカのモトクロス界には、AMAナショナル3クラス(125・250・500)に、折からのブームになっていたAMAスーパークロス(250)を加えた、4大カテゴリーがあった。晴れてカワサキ契約ライダーとなったワードは、AMAナショナルモトクロス125クラスから参戦を開始したが、最小排気量だからといって小柄なライダーに向いていたわけではないし、強いのは大男ばかりだった。
「彼らに勝つためには、上半身に筋力を付けて対抗するしかなかった。バイクが振られて踏ん張る時に、瞬間的な力が要るからだ」
 体格の差をウエイトトレーニングで補いながら、ワードが念願のタイトルを獲得したのは1984年、プロ8年目の夏のことだった。

前人未到のAMA四冠王に輝く

86年、AMAナショナル開幕戦(ゲインズビル)でのワードとKX250

86年、AMAナショナル開幕戦(ゲインズビル)でのワードとKX250。
KXの進化とワードのサクセスストーリーは切っても切り離せない関係にある。

 初のチャンピオンシップがブレイクスルーとなり、以後はワードがタイトルを量産する黄金時代が続く。'85年AMAナショナルモトクロス250、'85年AMAスーパークロス、'87年AMAスーパークロス、'88年AMAナショナルモトクロス250。そして'89~'90年AMAナショナルモトクロス500の連覇によって、ワードはAMAのビッグタイトルを完全制覇。史上初の四冠王となったのである。
「初めて獲得したチャンピオンシップはとても価値あるものだったけれど、その後のタイトルも喜びはすべて同じで、どれか一つだけを選ぶことはできない。大事なのは挑んだカテゴリーをすべて制覇したということだ」
 ワードが打ち立てた金字塔は、'93年を最後に500クラスが廃止されたため、誰にも破られない大記録となった…。
 カワサキのエースとして、そしてアメリカを代表するチャンピオンとして、ワードがレースに臨む真摯な姿は、後に続くヤングライダーの模範となった。晩年チームメイトになったジェフ・マタセビッチは、トレーニングからレースに至るまでワードと行動を共にし、多くを吸収しようと心掛けていた。
 しかし、ワードのすべてを学ぼうとしても、誰にも真似できない領域があった。プロのトライアルライダーだった父親のDNAによって受け継がれた、絶妙なバランス感覚。ワードのライディングテクニックは、努力によって培われたものでもあるが、根底に天賦の才があったことは確かだ。
 全盛期にワードのメカニックを担当したトム・モーガンは、タイヤ交換をする度にリムに少量の鉛を貼ったり剥がしたりしながら、完璧なホイールバランスを取っていた。モトクロスライダーの中で、微細なホイールのぶれを感じることができたのはワードだけだったという。

天性のバランス感覚と努力によって培われた独特のライディングテクニック

天性のバランス感覚と努力によって培われた独特のライディングテクニックで、 AMA史上初となる四冠を達成。

 ワードのトライアル的ライディングは、随所で顕著だった。ジャンプの飛び出しで、後輪に目が付いているような精度でショックをストロークさせるテクニック。あるいは最大限までトラクションを追求したコーナリング…。たとえば同じKX250に乗ったロン・ラシーンが、地面にハンドルが擦りそうなほど寝かせて回るコーナーで、ワードはできるだけマシンを直立させてリーンインの体勢で加速することがよくあった。ジェットスキーのように大きな半径とハイスピードを維持するラシーン走法と、クイックにマシンの向きを変えては直線的にトラクションを得ようとするワード走法の好対照は、'80年代のカワサキファンの目を奪ったものだった。
「それはコーナーの先のジャンプに備えた姿勢でもあったんだけれど、私はイン側をタイトに回るのが得意だった。長身のライダーがアウト側を回るのは、シートに座ってリアショックを縮めることができなかったからだ」

フェアウェルツアーを勝利で締め括る

自身の歴代ゼッケンをあしらったヘルメットと共に現役最後のシーズンを戦った。

自身の歴代ゼッケンをあしらったヘルメットと共に 現役最後のシーズンを戦った。

 ライダーの晩年には、不本意な負傷や解雇がつきものだ。しかしワードは、初めて引退を意識した時に現役期間を自ら定め、最後のシーズンをフェアウェルツアーと銘打って全うした。なんと幸せな幕引きだったことだろう。
 現役最後の'92年、ワードは歴代のゼッケンを全部ペイントしたヘルメットを被り、全米を巡った。スーパークロスの思い出が詰まったスタジアムに、汗と涙が染み込んだアウトドアナショナルのコースに、ワードは最後の轍を刻んでいった。そしてAMAナショナル500クラスでは第4戦で優勝も果たし、ランキング3位という立派な成績で現役生活に終止符を打った。
 ワードが歩んできたモトクロス人生は、カワサキのモトクロッサーが急進化した時期と重なる。ユニトラックサスペンション、水冷エンジン、ディスクブレーキ、ペリメターフレーム…。KXシリーズが新しいテクノロジーを取り入れる度に、ワードは与えられた武器を物にして成果を挙げてきた。今日に至るカワサキ常勝の歴史、その黎明期から最盛期へと橋渡しをした功労者として、もう一度ジェフ・ワードの名を記しておこう。
「素晴らしい歴史の一翼を担えたことを光栄に思っている」
 カワサキのモトクロス活動は、多くの才能と努力によって支えられてきたことを忘れてはならない。

(取材/文: 浦島信太郎)

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