KAWASAKI DIRT CHRONICLES

volume01 カワサキが生み出した高剛性シャシーの先駆け、ペリメターフレーム シングルバックボーンが当たり前だった時代に、カワサキが導入した独創的な車体、ペリメターフレームの誕生秘話。

斬新な発想から画期的なフレームが生まれる

当時モトクロッサーの開発リーダーを務めていた安井隆志

当時モトクロッサーの
開発リーダーを務めていた安井隆志

 デスクの上にラフスケッチがあった。ロードバイクのように2本のメインフレームを持つ、モトクロッサーの未来像だった。設計スタッフの誰かが落書きしたものだろう。スケッチを目に止めた安井隆志(当時:CP事業本部 技術総括部 プロジェクト室 開発3班 係長)は「この形なら行ける」と直感した。1988年盛夏、モトクロッサーの新しい形を模索していたカワサキに、ツインチューブフレームという発想が生まれ、開発が動き出した瞬間である。
「カワサキにはディスクブレーキやユニトラックサスペンションなど、画期的なメカニズムを他社に先駆けて導入してきた実績もあり、今度は常識を覆すようなフレームを作りたいと考えていました。モトクロッサーの車体の進化を振り返ってみると、1960年代には150mmだったサスペンションストロークが、'70年代には250mm、'80年代には300mmを超えるようになり、長さに応じた剛性を得るためにフロントフォークの倒立化が進んでいたことが背景にありました。自ずと倒立フォークの太いアウターを受け止めるフレームにも高剛性化が求められ、既存のシングルバックボーン構造の鉄フレームに取って代わる何かを探していたのです。骨格をツインチューブにすれば、将来的に燃料タンクとエアボックスの位置を逆転させ、キャブレターをダウンドラフトにすることも可能だと考えていました」
 安井が着手を命じたツインチューブフレームには、まだ「ペリメター」という名は与えられていなかった。

開発は試作から量産まで順調に進んだ

モトクロッサーの開発を現在も担当している横山真一郎

モトクロッサーの開発を
現在も担当している横山真一郎

 現在なら設計の段階からコンピューターで解析を行うところだが、当時はまず現物を作ってから試乗し、ライダーの評価を反映した物をまた作り直すという時代だった。設計者の横山真一郎(当時:CP事業本部 技術総括部 プロジェクト室 開発3班)が振り返る、プロジェクトの創成期…。
「手持ちの資材の中から、40×25mmの角パイプを選んでフレームを試作しました。テストライダーの野宮修一が乗ってみると『重量的には不利だが、直進安定性に光るものがある』という評価が得られました。我々は新設計フレームの素性をポジティブに捉え、狙った方向性を突き進むことにしたのです」
 構造的にねじれ剛性が強い反面、縦剛性に弱点があったことは確かだった。縦剛性の弱さは、ジャンプの着地や急制動時にフレームのたわみとなって現れたが、ヘッドパイプ周りやダウンチューブを強化して補うことができた。車体設計は、操縦性と安定性という相反する二要素を高次元でバランスさせる仕事だ。操縦性=ドライバビリティは後から微調整することもできるが、安定性=スタビリティは最初に確保しておかなければならない。既存フレームの熟成ではなく、全く新しい形状の試みだったので、この点では妥協が許されなかった。
 軽量化の面では、角型高張力鋼管を30×20mmにサイズダウンしたり、リアショック取り付け部を別体アルミ製にすることで、目標値はクリアできた。年が明けた1989年初頭には、量産試作車が走り出す。125ccと250ccのフレームは、車格に応じてディメンションに差があったが、部品の9割近くを共有するほどマスプロダクションを前提としていた。'90年型市販モデル、KX125・KX250の道筋が立ったことは、開発陣にとって一つの到達点であり通過点でもあった。モトクロッサーには実戦での勝利という課題が残されていたからである。

デビュー初年度で全日本チャンピオンに輝く

ペリメターフレームを採用し、岡部を250チャンピオンに導いた1989年のKX250SR

ペリメターフレームを採用し、岡部を250チャンピオンに導いた
1989年のKX250SR

 1989年の全日本モトクロス国際A級は、前期125×6戦、後期250×6戦という変則的なスケジュールが組まれていた。カワサキレーシングチームは岡部篤史、花田茂樹、長沼朝之の3人体制。中でも'85年、'87年、'88年125チャンピオンの岡部には、両クラス制覇が期待されていた。3月にセーフティパーク埼玉で行われた開幕戦では、KX125SRの斬新なフレームが脚光を浴びたが、岡部の初勝利は笠岡特設コースにおける第2戦まで待たなければならなかった。'89年の125クラスはウィナーを8名も輩出する混戦だったが、岡部は惜しくもタイトルを逃す。だが後期250クラスでは、多治見の最終戦までもつれ込んだ接戦を制し、念願の王座を獲得したのだ。岡部にとって初の250タイトル、カワサキにとっては1976年の竹沢正治以来、13年ぶりとなる250チャンピオン。その栄冠の立役者として、投入初年度のツインチューブフレームをKAWASAKI DIRT CHRONICLESに刻んでおきたい。
「初勝利のことはあまり記憶にありません。強烈に覚えているのは、125チャンピオンを逃した悔しさと、250チャンピオンを獲った喜びです」
 記憶にないと言いながら、横山は今でも'89年の全日本モトクロス開催地名をすらすらと口にする。画期的な新型フレームの開発に携わった者だけが、濃密な日々を送ったからなのだろう。開発スタートからわずか1年ほどで、頂点に立ったツインフレームは後に、KXシリーズにとって最大の市場であるアメリカからの提案により、「周囲」を意味する「ペリメター」と命名される。ロードバイクのツインスパーとは趣きが異なり、タンクを包み込むようなフレーム形状を見事に表現した名称だった。
 デビューシーズンを最高の形で締め括ったペリメターフレームは、その後もKXシリーズのアイデンティティとして順調に進化を重ねた。市販モデルの年式をベースに、ジェネレーションは6世代に分類される。'90~'91モデル=初代。'92~'93=ショックタワーがアルミ製から鉄製に。'94~'98=ダウンチューブが丸パイプからモナカボックスに。'99~'02=メインフレームの取り回し変更。'03~=メインフレームが角型からD型断面に。'04~'05=4ストKX250F用設計。
 こうして進化してきたペリメターフレームは、'06年型KX250F・KX450Fに初採用されたアルミフレームの設計思想につながっている。21年前のあの夏の日にペリメターフレームの開発に着手しなかったら、今日に至るカワサキの輝かしい戦歴は全く違ったものになっていたかもしれない。

(取材/文: 浦島信太郎)

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